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京都地方裁判所 昭和42年(わ)126号 判決

主文

被告人を罰金三万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中、鑑定人井上剛、同豊田文一に支給した鑑定料を除き、その余は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三二年三月京都府立医科大学を卒業後、昭和三三年六月医師の免許を受け、同大学において助手、副手をした後、昭和三九年二月から京都第二赤十字病院に勤務し、耳鼻咽喉科医師として、口蓋扁桃腺摘出手術など耳鼻咽喉科一般で行なう診断治療等の医療業務に従事していたものであるが、昭和四〇年八月二一日、京都府北桑田郡京北町大字下中小字鳥谷三番地所在、同町立国保京北病院において、同郡美山町の児童に対し集団口蓋扁桃腺摘出手術等が実施されるに際し、招聘されて医師信岡亘、同内田一男と共に、同手術実施のため同病院に赴き、同日午後二時三〇分ころから、同病院において回医師らと共に、美山町立鶴ケ岡小学校三年生上仲裕美子(当時八年)ほか二九名の児童に対し口蓋扁桃腺摘出手術等を実施したが、同日午後五時過ぎころ内田医師は所用のため帰り、引続き被告人及び信岡医師において手術をつづけ、同日午後八時ころ全員の手術を終つたが、右上仲裕美子に対する手術は、同日午後五時過ぎころから信岡医師の執刀により行なわれ、被告人において同医師の依頼により一応止血の処置をなした上、退室させたものである(なお、右扁摘手術を受けた児童全員について、同日入院の措置がとられた。)。

被告人は、同日午後八時三〇分ころ、扁摘手術を受け入院中の右児童全員について、術後回診をした上、信岡医師と共に同医院外科医宿舎に宿泊したところ、翌二二日朝回診を実施するにあたり、まず同日午前八時四五分ころから、同病院外科診察場において右児童らを集めて術後の診察をした後、右診察に来なかつた児童らに対する病室における回診を始めたが、同日午前九時ころ信岡医師及び前夜当直の岡本あや子看護婦(婦長)と共に同病院伝染病棟内の看護婦詰所に赴き、同室内において、同所に入院中の前記上仲裕美子を診察した際、同女が前夜来前記扁摘手術による手術創からの多量の滲潤性後出血により吐血をくり返し、そのころには顔面蒼白、手足が冷たいなど全身に衰弱した症状を呈し失血状態を高度に進行させた重篤状態にあつた上、右診察前の午前八時四五分ころにも前記外科診察場で、同女に付添つていた同女の父俊雄から同女の容態についての訴えを聞き、また右診察時においても、右俊雄らから直接同女が前夜来数回吐血をした旨告げられたのであるから、このような場合、扁桃腺摘出手術の術後回診を行なう医師としては、手術後の後出血の有無、量並びに患者のその後の症状経過などについて細心の注意を払い、手術創を視診して創面の状況、出血の有無を確認することは勿論のこと、患者、付添いの保護者あるいは担当の看護婦から患者の前夜来の吐血状況、症状経過などを詳細に聴取し、更に、吐血物の検査、呼吸数、脈博及び血圧の測定、血液検査、眼瞼結膜の視診、胸部聴打診その他全身状態の十分な観察等を行ない、殊に後出血による患者の出血、失血状態、症状経過などを適確に把握して患者を診断し、その容態いかんによつては、緊急に輸血、止血、強心剤注射、栄養剤等の輸液、酸素吸入等の措置を講じ、もつて患者が失血死する結果を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、同女を診察する際、単に額帯鏡等を用いて手術創を視診し、同女の手首を触診して脈博を調べ、同女の腹部を触診して同女に簡単な問診をし、その他同女の全身状態の観察、前記俊雄らから同女について牛乳等の飲食の有無を聴取したにとどまり、その余の前記諸検査等を行なわなかつたため、当時前記のとおり同女の失血状態が高度に進行していたことを看過し、輸血、止血、強心剤注射、栄養剤等の輸液、酸素吸入等の緊急措置を講じなかつた過失により、その後の同女に対する処置を誤り、前記信岡医師を介してブドウ糖等の輸液処置を診療録に記入させて指示したにとどまり、緊急に適切な措置を講じなかつたため、同女の失血状態を益々重篤ならしめ、よつて、同女をして、同日午前一一時二〇分ころ同所において、前記手術創からの後出血により失血死するに至らしめたものである。

(証拠の標目)〈略〉

(被告人の判示過失を認定した理由)

被告人及び弁護人は、第一に、本件被害者の死亡は京北病院の患者取扱いに対する管理体制の不備、不十分さに原因し、従つて被告人に責任はなく、第二に、本件において、被害者の主治医は終始信岡医師であつて被告人ではなく、第三に、被告人には本件におけるいずれの時点においても過失は認められない、すなわち、当日午前九時以前の段階においては勿論のこと、前判示の午前九時ころの回診においても、被害者の症状は重篤ではなく、相当の診察を行なつたのであるから、被害者死亡の予見は不可能である。また被告人の指示した輸液処置は相当であつた旨述べ、従つて、被告人はいずれの点からも無罪であると主張する。

よつて判断するに

一前掲各証拠によれば、本件被害者の手術後死亡するに至るまでの経過は次のとおりであることが認められる。

(1)  本件被害者上仲裕美子に対し、昭和四〇年八月二一日午後五時過ぎころから信岡医師執刀のもとで前記手術が行なわれ、右手術の際信岡医師の依頼により、被告人も同女に一応止血の処置をなして、同女を退室させた。同日午後八時三〇分ころ、被告人は、信岡医師ほか看護婦一名を伴い、被害者ら患者全員に対する術後回診を行なつたが、その際同女の手術創に出血を認めなかつた。

(2)  被害者は、同日夜伝染病棟内の看護婦詰所に入院宿泊し、同所に父上仲俊雄、母八重子が付添い、右被害者の看護にあたつていたところ、翌二二日午前零時ころ、同女は二回に亘つて吐血をし、右吐血量は、「湯呑み茶わん一杯位」(前掲八重子の証言)と「一合程」(前掲父俊雄の証言)との二回であつて右吐血には鮮血が多少混入していた。父俊雄は、同夜当直の看護婦婦長岡本あや子を呼び、同婦長は被害者の口中と脈をみた。

同日午前二時ころ、被害者は仰臥のまま激しく吐血し、その量は「洗面器に一杯」(前掲母八重子の証言)という程であつて相当多量であり、鮮血も多く含まれていた。このときも、前記岡本婦長から前同様の措置がとられた。被害者は、そのころから顔面蒼白となり、しきりに苦痛を訴え始めるようになつた。

同日午前四時ころ、被害者は四度目の吐血をし、その量は必ずしもはつきりとしないが、「五勺から一合位であつたかも知れない」(前掲父俊雄の証言)ということであり、その後便所に行く際ふらついて自ら歩くことができず、母八重子によつて背負われて行く程であつた。

同日午前五時ころ、父俊雄は次第に不安を感じ、岡本婦長に医師による診察を依頼し、同婦長は、同病院当直医藤森医師にインターホンで同女の容態を連絡し、同医師の指示に基づき同女に対し止血剤二本の注射がなされた。同女の症状は一時落着いたものの、しかし再び苦痛を強く訴え、次第に衰弱悪化していつた。

(3)  同日午前八時ころ、父俊雄は、同病院事務員土屋智世に被害者の症状を訴えて医師の診察を求め、右土屋はこれを前記岡本婦長に伝えた。同婦長は、被告人ら医師にこれを伝えようとして、当夜被告人らが宿泊した同病院外科医宿舎に赴いたが、被告人らが就寝中であつたため、これを伝えることができなかつた。なお、その後被害者死亡に至るまで、同婦長から被告人ら医師に対し被害者の当夜の吐血状況、症状経過などについて何の報告もなかつたものである。

(4)  被告人は、同日午前八時三〇分ころから前日扁摘手術を受けた患者を外科診察場に集めて診察をしていたところ、同八時四五分ころ同所に来た前記俊雄から「私の子は夕ベからえらがつている、それでもここへ連れてきてみてもらわないかんのですか。」などと被害者の容態を告げられた。そして、同午前九時ころ被害者に対する回診が行なわれたが、その際、被告人は、五パーセントブドウ糖五〇〇CCビタミンB1C混合液の輸液処置を右回診に同行した信岡医師に指示し、同医師は同所において診療録に右にペルサンチン(強心剤)を加えた輸液処置を記入したが、被告人から格別緊急に行なうべきであるとの指示も与えなかつたので、ほか数名の患者分と共にこれを前記岡本婦長に渡した。同婦長は同病院看護婦可原敏子に右診療録を渡し処置を指示したが、同看護婦は当日行なわれる予定の手術の準備に追われ、速やかに右輸液処置を講じなかつた。

(5)  同日午前九時二〇分ころ、被害者は尿意を催し、父俊雄に抱かれて便所に赴いたところ、同所においてかんてん状の血便をして「くなくなし」(前掲父俊雄の証言)、緊張度の失せた極度の衰弱状態に陥つた。便に同女は病室に戻る際、多量の重油状の吐血をした。父俊雄は、直ちに事務室において信岡医師に右容態を伝えたところ、同医師から既に輸液をするように指示してある旨告げられた。しかし同医師によつて格別の措置はとられなかつた。

そして、同日午前一〇時三〇分ころ、同女の容態は急変し危篤状態に陥り、被告人らが同女の許に赴き、輸液、強心剤注射、輸血、人工呼吸、酸素吸人、吐血物の吸引等の処置を講じたがおよばず、同日午前一一時二〇分ころ同女は死亡したものである。

なお、検察官は、本件公訴事実において、被告人は八月二二日午前八時ころ、前記岡本婦長から被害者が前夜来二回程吐血し苦痛を訴えている旨の連絡を受けたと主張するが、これに関する前掲証人岡本あや子に対する尋問調書中の供述部分は前掲証人信岡亘の供述部分、被告人の当公判廷における供述並びに被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書にてらし、信用できず、その他右認定をくつがえすに足る十分な証拠はない。

二次に被害者の死因を検討するに、

被害者の死体を解剖した前掲医師小片重男作成の鑑定書及び同医師の証人としての供述部分並びに鑑定人井上剛作成の鑑定書及び同鑑定証人の供述部分によれば、被害者には出血性素因及びショツク死に陥りやすい素因は見受けられないこと、また、被害者に対する扁摘手術自体について特段の誤りのあつたことを認めるに足る資料はないことが認められる。死因について、医師小片重男は右供述部分の中で、扁摘手術後の手術創からの出血に基づく失血の末期症状として発現した嘔吐血液吸引のための窒息死としながらも、失血死であることを否定せず、鑑定人井上剛は、その鑑定書などで、消化管全域に亘り致命的な血液が存在すること及び肺臓、気管支内に存在する血液は、暗赤色流動性のあるもので、消化管内にある血液などと色調を大きく異にしており、胃から逆流して気道内に吸い込まれたものとみなすことができないことなどを理由に、窒息死という右小片鑑定には所見上矛盾が生ずる旨説明し、死因は前記手術を受けた局所からの後出血による失血死であつて、死因につき競合関係は認められないとしている。

以上、前記一に示したとおりの被害者の前夜来の吐血状況、殊に、多量の吐血、吐血中に鮮血が混入していたこと等の事実に右各鑑定結果等を総合すると、本件被害者の死因は、手術創からの後出血による失血死であると認めるのが相当である。なお、弁護人は、危篤状態において被害者の足背静脈に容易に輸血針を入れることができたことから、失血死は疑問であると論じるが、鑑定人豊田文一作成の鑑定書によれば、これを極めて困難としながらも不可能としていないし、被害者の身体の硬直状態、注射された部位等を考えれば仮りに所論の状態があつても、本件死因についての右認定を左右するものでない。

三当裁判所は判示のように、午前九時ころの回診時における被告人の過失の存在を肯認したものであるが、これを若干補足すると、

(1)  右回診時における被害者の容態は、前掲各証拠によれば、判示認定のとおりである。

これに関し、前掲医師小片重男作成の鑑定書及び同医師の前掲供述部分によれば、法医学的立場から、回診のなされた午前九時ころには被害者に貧血の状態が相当全身的に現われていたものと推論しているところであるが、被告人は、右回診時の臨床所見として、創面からの出血はなく、被害者の顔色が他の患者に比し優れなかつたが、同女に意識があり、呼吸状態も平穏で、全身状態として重篤な状態であるとの感じを受けなかつたと述べている。しかしながら、被告人の右所見とそれに対する判断が果して正確かつ妥当であつたかは問題である。もとより、医療についてはその専門的知識と経験を必要とするもので、これに携わる医師の診断を尊重すべきことは当然であるが、しかし、仮りに右所見が被告人の述べるとおり創面に出血がなかつたとしても、扁摘手術後の滲潤性後出血の性質、当時既に出血すべき血液がなかつたかもしれないこと(前掲医師小片重男及び同武田一雄の各供述部分)等に着眼すると、必要な検査などしたのであれば格別、そうでなくて、事態を軽視することはできないというべきである。次は、仮りに右同様被害者に意識が存在したとしても、被告人は、被害者に対し腹部触診の際簡単な問診をしたに過ぎず、また回診時における診察は短時間であつたこと等を考慮すると、同女の意識状態を果して正確に判断し得たかは疑問なしとしない上、前掲鑑定人豊田文一作成の鑑定書及び同井上剛の前掲供述部分によれば、失血死に至る経過の中での意識状態は個人差があり、ケースバイケースであること、失血死に至る経過の長い場合、死の二ないし三時間前起こる不穏状態の時点まで意識は存在すること等が認められるから、意識の存在をもつて失血による重篤状態を否定することはできないというべきである。本件において、被告人の当公判廷における供述等から推測すると、意識が存在していたことを過大に評価し、事態を軽視した結果、右重篤状態を看過した疑いがないとはいえないだろうか。本件において、前記回診時の被害者の容態につき、それが重篤でなかつたことを前提とする弁護人の主張は、当裁判所の採用しないところである。

(2)  次に、被告人及び弁護人は、午前九時ころの回診当時被害者の症状に、前記のとおり外見上はつきりした重篤状態の徴表は認められなかつたのであるから、被告人に致死の結果について予見可能性はなく、責任を問われる筋合いはないと主張する。

しかしながら、扁摘手術の術後回診にあたる医師として最も注意を払うべきことは、術後の後出血であり、殊に、本件においては、被害者は未だ八歳の少女であつて、出血に対する許容能力も劣つていたと認められる上、当時既に顔面蒼白で手足も冷たいなど全身に衰弱した症状を呈しており、被告人は、これより先午前八時四五分ころ被害者の父俊雄から同女の容態につき訴えを聞き、右回診時においても、右俊雄らから同女が前夜来数回吐血した旨告げられたのであるから、このような場合、医師たる被告人としては、前判示のような各種検査、診察、事情の聴取などを進んで行なうべきであり、これにより被害者の症状を適確に知り得たし、また被告人においてこれらを容易になし得たのであるから、結局、本件において被告人に予見可能性がなかつたとは認められない。

(3)  また、弁護人は被告人の指示した輸液処置は妥当であつたと主張するが、医師小片重男の前掲供述部分及び鑑定人豊田文一作成の鑑定書によれば、同日午前九時の時点でとるべき最も必要な処置は、輸血であり、加えて輸液その他の処置を行なうべきであつたことが認められる。同鑑定書によれば、輸血が困難な場合応急のものとして輸液は誤つた処置とはいえないとしているが、前掲各証拠によれば、本件の場合、輸血の準備はあつたのであるし、また、輸液処置は緊急になすべきとの指示がなされたとはとうてい認められない。

以上るる説示したところから明らかなように、本件被害者の死因が滲潤性後出血による失血死であること、前判示の午前九時ころの回診時における被害者の容態は、高度の失血状態にあつて、死に至る危険の高い状態にあつたのであるから、被告人において直ちに前に説示したような適切な措置がとられなければならないところ、その診断を誤り、その結果適切な措置がとられなかつたこと、右回診から約二時間二〇分後同女が死亡したこと等の事実から、被害者の死亡は、判示認定の過失と因果関係があると認められる(このことは、前掲証人小片重男の供述部分に徴しても、十分に肯定できる。)のであつて、被告人は罪責を免れることができない。

なお、前掲各証拠によれば、同日午前九時二〇分ころ被害者が便所において容態を急変させた際、父俊雄は、信岡医師に容態を訴えたが、何の措置もとられなかつた事実が認められる。しかし、右訴えが被告人による回診の約二〇分後であること、被告人の診断により既に輸液処置が指示されていること等の事情を考慮すると、この点につき、同医師の過失があつたか否かは疑わしく、仮りにその緊急の措置をとらなかつた点において過失があつたとしても、単に被告人の判示過失と競合関係にたつに過ぎず、被告人の過失の存在を否定することができないことはいうまでもない。

また、前掲各証拠によれば、本件輸液処置が看護婦の懈怠により相当遅れた事実が認められるが、全証拠を詳細に検討しても、右処置が緊急にとられるべきであるとの指示がなされたことをうかがわせるに足る資料は全く存しないから、右看護婦の懈怠の事実をもつて被告人の罪責を否定することはできない。

最後に、弁護人は、被告人は自ら被害者に対する手術を執力したものでないから、被害者の主治医でなく、その主治医は信岡医師であつて、被告人に責任はないと主張する。しかし、一般に、いわゆる主治医ということから直ちに法律上の責任を負うべきものではなく、かえつて主治医でない医師に法律上の責任を負わされる場合もあり、各時点、各場合の具体的事実関係によつて、法律上の責任の負担者が決定されると考えるべきである。前掲各証拠及びこれによつて認められる、本件集団扁摘手術の実施状況、殊に、被告人ら医師三名の間で、分担、担当する患者などについて明確な取り決めもないまま、その予診、手術、術後の回診などがなされている実状にてらし、被告人は、信岡医師の補助者ということでなく、専門医ということもあつて、自ら八月二二日朝の術後回診を実施したものと認められるから、被告人は術後回診に携わる医師としてそれ相当の業務上の注意義務を負うべきことは明らかである。

(法令の適用並びに量刑理由)

被告人の判示所為は、行為時においては、昭和四三年法律六一号による改正前の刑法二一一条前段、昭和四七年法律六一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項、三条一項一号に、裁判時においては右改正後の刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法二条一項、三条一項一号に該当するが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑に従い処断すべきである。

本件は、京北町立国保京北病院において、平素医療に患まれない付近町村の児童に対し、夏休みを利用した集団扁桃腺摘出手術等が実施された際、被告人ら三名の医師が招聘され、本件手術が実施されたところ。前判示のように術後における診断の誤りにより被害者の失血状態が看過され、逐には同人を死に至らしめた事案であつて、被害者は、生前身体に格別異常を認めなかつた健康な少女であり、医療に比軽的恵まれない郡部であるという理由で少しも犠牲になるいわれはなく、同女の短い生涯と両親の無念な心情を考えるとき、被告人の本件責任は必ずしも軽くはないのであるが、他面、弁護人の主張するように、本件に関与した看護婦らにも、少なからずの法律上あるいは道義上の責任が認められ、その過失あるいは不行届が競合して本件事故が発生したものであるが、各立場において少しの配慮があつたならば、本件を未然に防ぐこともできたのであつて、病院における患者取扱いに対する医療体制が全体として不備、不十分であつたことは否定できず、ひとり被告人にその責任を負わすことは酷であること、被告人は、被害者に対する前記手術を自ら執刀したものでなく、本件過失の態様も、いわゆる診断に関する誤りといえること、被告人は、本件が、新聞紙上等に報ぜられることなどによつて既に医師として社会的な制裁を受けていること、更に被害者に対し哀悼の意を表すると共に、遺族に対し見舞金が支払われていること等諸般の情状を考慮し、所定刑中罰金刑を選択するのが相当であると認められ、その所定金額の範囲内で被告人を罰金三万円に処することとし、罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。なお、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文に従い、主文三項記載のとおり被告人に負担させる。

よつて主文のとおり判決する。

(吉川寛吾 鈴木之夫 永田誠一)

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